SAMURAI JAPANのメンバーに選ばれて活躍している西川史礁(にしかわ みしょう)選手。
西川史礁選手は現在青山学院大学でプレーしています。
西川史礁選手にはお兄さんである藍畝(らんせ)さんがいます。
兄の藍畝(らんせ)さんもかつては青山学院大学の野球部でプレーしていました。
そして主将もして活躍していた人でした。
この記事では以下の内容について見ていきます。
西川史礁の兄は西川藍畝(らんせ)もすごい!
出典:紀州新聞
西川史礁選手の兄・西川藍畝(らんせ)もすごい人なんです。
西川史礁選手の兄・西川藍畝さんも大学まで野球選手として活躍していました。
兄の西川藍畝さんですが、高校野球・大学野球で活躍をしてきた人でした。
西川史礁選手の兄・西川藍畝さんがどんな人なのか次から見ていきましょう!
西川史礁選手とお兄さんの西川藍畝さんはすごく似てますね!
西川史礁の兄・藍畝は青山学院の野球部で主将として活躍
出典:日刊スポーツ
西川史礁選手の兄・藍畝さんは青山学院の野球部で主将として活躍していました。
なんと兄の西川藍畝さんは自分から立候補して主将になりました。
兄の西川藍畝さんが青山学院でプレーしていた1年・2年の当時、青山学院は長い間2部にいました。
3年生になり、怪我でレギュラーから外れてしまったことやチームが負けてしまった悔しさを実感していたそうです。
そこで、3年生の秋に兄の西川藍畝さんが主将になると決め立候補したそうです。
自分が主将になりチームの足りない所を補って1部に昇格して日本一を目指す!と決意したそうです。
「あと1勝」のためには練習では最後までやり切ることを徹底。グラウンド整備、あいさつといった日常生活も改善し、「駄目なことは駄目とお互いに言い合えるチームを作ってきた」という。
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練習だけでも大変なのにチームをまとめる主将に立候補するなんて
兄の西川藍畝さんはとってもすごいしかっこいいですね!
西川史礁の兄・藍畝が主将を務めた時に1部リーグ昇格
出典:日刊スポーツ
西川史礁選手の兄・藍畝さんが主将を務めた時に青山学院の野球部は1部リーグ昇格しました。
兄・西川藍畝さんが主将になった年にコロナ禍になってしまい、春季リーグは中止、全体練習もできない日が続いたそうです。
また、秋季リーグは開催されましたが、兄・西川藍畝さんはスタメンから外れていました。
しかし、そんな状況の中でも代打で出た時には一発決めたり、試合に出ていない時は応援でチームを励まし続けていました。
そんな難しい状況でしたが、青山学院大学の野球部は結果1部リーグへの昇格が決まりました。
兄・西川藍畝さんは主将として宣言通り1部昇格にチームを引っ張っていったということですね。
誰もが経験したことない状況の中で主将をするのは大変だったはず
やり遂げたことがすごいですよね!
西川史礁の兄・藍畝は大学野球で引退
出典:日刊スポーツ
西川史礁の兄・西川藍畝さんは大学野球で野球選手を引退をしています。
兄・西川藍畝さんを特集していた記事で大学野球で野球選手としては引退するということが書かれていました。
西川は大学野球をもって野球を引退する。日本一への夢は後輩へと託された。
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そのため、どこかで野球選手としてプレーしてはいないようです。
野球選手はしていないみたいだけど
弟の西川史礁選手の活躍を見にきたりしていて
野球が好きなのは変わっていないみたいですね。
まとめ:西川史礁の兄・藍畝は青学の野球部の元主将
西川史礁の兄・藍畝さんについて見てきました。
- 西川史礁の兄・藍畝さんも野球をしていた。
- 西川史礁の兄・藍畝さんは青山学院大学の野球部の主将をしていた。
- 西川史礁の兄・藍畝さんが主将をしていた時に青学の野球部は1部に昇格した。